社会人として生活していく上で、勉強が出来るだけではダメ。
働く上では勉強が出来る事よりも「コミュニケーション能力」が大切という話は良く聞く。
しかし、「コミュニケーション能力」というのは聞こえは良いが、抽象的な表現すぎて実際のところ何を指しているのか分からない。
こういう疑問が浮かんでいる時点で、自分は世間一般的な「コミュニケーション能力」というものが高く無い生き物なんだろうな、と思う。
日常生活を送る上でコミュニケーション能力が無いからと開き直れればいいのだが、そんな勇気もない。
そんなわけで、「コミュニケーション能力」というものについて考えてみたい。
世間一般では、どのような人たちが「コミュニケーション能力が高い」と評価されているのだろうか。
コミュニケーション能力が高い人はどんな人?という質問をされたら、どんな人を思い浮かべるだろうか。
コミュニケーションという単語から、「話し上手な人」「面白い人」「明るい人」などなど、人間関係の輪の中で中心にいるような人が連想される。
しかし最近では、「聞き上手が話し上手」というように、自分から主体的に面白い話をする人のみではなく、相手の考えや出来事を上手に聞き出してあげる人の事を「コミュニケーション能力が高い」と評価されている傾向があるように感じる。
そもそも「コミュニケーション能力」と表現は、自分一人ではなく他者が存在する環境の中でどのように他者と関わっていくかを前提とした表現なのではないか。
(個人的には、自分の中で自問自答をするような自分の中の意見のやり取りが上手に出来る人もコミュニケーション能力が高いと思っている。)
そう考えると、「話し上手」「聞き上手」という枠組み以前に、他者との関わりをどのように持つかという事が、コミュニケーション能力を発揮するための大前提になる気がする。
他者との関わりを持つきっかけを作るには、相手に興味を持ってもらう事が大切になる。
例えば会社では仕事を通して他者と関わる機会が多いはずだが、同じ部署でも他者と関わる機会が多い人と、ほとんど他者と関わる事のない人がいないだろうか。
人望があるか無いかの違いだよと言われればそれまでだが、もしかしたら仕事に対する理解度や知識の差によって他者との接触の差が生まれているかもしれないし、眉間にしわを寄せているから話しかけづらい雰囲気を出しているのかもしれない。
「あの人は元々人望があって、自分とは違うから仕方ない。」
そんな風に言い訳をする事はいくらでも出来るが、逆に自分が他者との関わりを持てない理由の1つや2つも思い浮かぶはずだ。
相手に興味を持ってもらえるようになって、やっと「コミュニケーション能力」という話が出来る土俵に上がれる。
他者と上手に関わる事が出来ない、言い換えれば相手に興味を示してもらえない状態で、「話し上手」や「聞き上手」と言われる人のテクニックを真似してみても、うまくいく可能性の方が低いんじゃないだろうか。
むしろ相手とコミュニケーションを取るために使ってみたテクニックが原因で、ウザいと思われて人間関係そのものが終了する事に繋がるかもしれない。
他者と関わるきっかけを多く持つ事が出来れば、それだけ人と話をしたり話を聞いたりする機会が増える。
その中で色んな失敗をして、自分に合った話し方なんかを見つけていけばいいと思う。
「コミュニケーション能力」という抽象的な概念に疑問を持ったら、まずは「相手に興味を持ってもらうにはどうすれば良いのか」そんな視点で考えてみる事が「コミュニケーション能力の高い人」に繋がる第一歩になると思う。